精神世界・スピリチュアル

「私」がなくなることへの恐怖が消えて【大和田菜穂さん本レビューもちょっと】

投稿日:

悟り、覚醒、ワンネス体験。今、旬の呼び方は「ノンデュアリティ」のようだ。

 

HALはこれまで、言葉として一番言いやすいので「ワンネス体験」「宇宙の源にかえる」「悟りの一瞥を経験した」と表現してきたけれど、経験、という言葉もやはり当てはまらない。

「私が消える」と、ノンデュアリティという言葉の提唱者?大和田菜穂さんは表現している。なるほど、確かにそういう言い方が一番、伝わりやすいかもしれない。

すでに愛の中にある―個人のすべてを失ったとき、すべてが現れる

そこには「全体」だけが残ります。すべては無のエネルギーが形となって現れているだけだということが明らかになり、完全なリラクゼーションだけが残るのです。

すでに愛の中にある―個人のすべてを失ったとき、すべてが現れる(覚醒ブックス) より

私は、いずれ訪れる「死」が怖かった。死んで、「私」が消えてしまうことが怖かった。

死のイメージ、恐ろしさは、映画のデスノートで、死神が主人公の死に際に絶望させるために言うあの言葉のインパクトそのもの。デスノートを使った人間は死後、天国にも地獄にも行けない。あるのは「無」だ。

「私」が消える、イコール「無」

それが、目覚めの一瞥が起きる前の、私の死のイメージ。あの世がなかった場合の、恐ろしさ。

だから、ずっと死後の世界の存在を肯定したくて、死後の世界があると実感したくて、さまざまなスピリチュアルの探求を続けた。

私の場合は、大和田菜穂さんは「それすら必要ない」と言う瞑想中に、悟りの一瞥が起きた。

ただ、一瞥が起きたからこそ、彼女が、瞑想は必要ないというのも分かる。瞑想をしようとしまいと、私にはあのとき、あれが起きると決まっていた。

瞑想も、それ以前のスピリチュアルな探求も、直接的には私に起きたこととは関係していない。

 

ただ、やはりこの夢の世界、現象界のキャラクターとしての「私」HALにまたどっぷりと入り込んでこの世界を楽しむとしたら、その中のルールに則って、私に起きたことを説明しようとしたら。

本当は因果関係のない、バラバラの、ただ起きている出来事は全部、ストーリーとしてしっかりと繋がる。

死が怖くて、人生が辛くて、スピリチュアルな世界の探求をして、瞑想と出会って、悟りの一瞥が起きた、そして楽になった。

このストーリーを気に入っている。

ワンネス・不二元を『ノン・デュアリティ』という言葉で表現し、世界でも大絶賛の大和田菜穂さんの著書↓

 

すでに愛の中にある―個人のすべてを失ったとき、すべてが現れる(覚醒ブックス)

-精神世界・スピリチュアル
-

Copyright© 現象界の初心者 , 2018 AllRights Reserved Powered by AFFINGER4.